『劍と玉と』(折口信夫 著)

『劍と玉と』(折口信夫 著)を読みました
が全然わからないので全文写しておきます
私の印象:?

劍と玉と

昭和七年一月「上代文化」第七號
上代文化研究會公開講演會、筆談

民俗學の分野で、第一に解決して置かなくてはならぬ問題はたまの問題である。是に其問題に就いて局部々々に多少の變更を試み乍ら考へて見たいと思ふ。
演題として劍と玉とを採つたのは、たま(靈魂)を人の身體に固著せしむる際に行ふ技術をば、劍と玉とに依つて考へて見ようと思つた為に他ならない。
私は比較研究と言ふ事は、先十分に、自分のものを築き上げた後にして初めて採用し得るものであつて、さなくば非常な危険が伴ふものと考へる。此意味に於て私は、日本に於ける私の研究を強く育て上げつゝ、他の何人かゞ目新しい外國の比較材料を提供してくれるのを待つ、と言つた研究態度を執つて居る。勿論、比較研究とても其研究に携る學者の學殖如何に依つて、利害各様の結果に導かれるものであることは贅言を要しない。
偖、玉とさへ言へば今日では一般に丸いものであると言ふ概念を持つて居るが、之は全然常識的な考へに過ぎないのであつて、玉と稱するものにも人工の加へられた結果、動物の牙の様なものや筆の軸を短く切つた様なものなどが存在する。斯く玉は、其形態に於て種々な形態をとつて居るけれども、其質に於ては一様に玉質と稱すべき物質を以て製作されて居る。
古代の我々の祖先達が考へて居た玉と、現代の我々が考へて居る玉とは、明らかに相違したものである。往古の人々は、玉が丸くつてころ/\轉るものであるなどゝは考へて居なかつた。私共が催馬楽とか、伊勢物語をか古いものなどを覽てみると、沖の彼方から鴎が、たま(珠玉)を磯邊に持つて來てくれる、などゝ言ふ夢の様な事が書いてある。そして古歌などにも、海邊にさへ行くならば、數知れぬ程のたまを拾ふ事が出來る様に歌はれて居る。海邊に行く記事があれば、必、たま(珠)の記事があって、それは歌にまで多く綴られて居るのである。斯様古代の海に珠が多かつたと同様、一方山地に於いても玉を拾つたと歌つて居る。如何に遠い昔でも、この日本にそんなに澤山の珠玉が存在しようとは考へられない。我々は民族の古い考へ方の類型が、多く歌謡の上に保存されて居る事を承知して居る。事實其様な澤山の珠玉のある筈はなかつたのであるが、如何にも本道に其處に在るかの様に考へる様になつたのである。ところが玆(*1)に人間の骨を拾ふ事をも昔の人々は、たまを拾ふと言つて居るのである。然らば一體たまとは何であるかと言ふ事になる。
たまと言ふ言葉に就いて私共が自分自身の頭の中で、一應比較せずに居られないものは、たまと言ふ言葉とたましひと言ふ言葉とであらう。
私は、人間の身體に出たり這入つたりするところの抽象的なたま(靈魂)を、具體的にしむぼらいずせる玉をばたまと稱して、礦石や動物の骨などを此語で呼び、抽象的なたま(靈魂)をたましひと言ふ言葉で表現する様になつたと、たまたましひとを別に區別して考へて居る者である。一般に近世の人達はたまたましひとを混同して了つて、たまたましひの略語であるとか、單なる装飾品のたま(珠玉)であるとかと、漠然たる概念に囚はれて居る。私共の解決しなくてはならない點は、實に此處である。
玉はまじつくの用に供されたものであつて、人間の有して居るたま(靈魂)と關係のあるものなる事は、今更證明をせずして餘りにも明瞭に訣つて居る事である。私は靈魂のたまも、まじつくに使用せらるゝ珠玉のたまも、所詮同じものであつて、一つの物體の兩面の様なものであると思ふ――此言葉を使つては、或は誤解を生じ易い危惧があるかも知れないが――。
靈魂のたまが形をとると種々な形態となつて現れるのであるが、其中で最優れた形態をとつて現れて來たものが即、玉であると考へられたのである。抽象的なたま(靈魂)のしむぼるが、具體的なたま(玉)に他ならなかつたのである。此事は漸く最近に至つて十分な證明がつく様になつたが、昔の學者とても、違つた立ち場から意味の區別を與へた者もないではなかつた。併しそれが語原説から出發した所論であつた。總て歴史上に於いて物を考へる事をやつて居る人達の堕し易いのは、此語原説であらう。我々が訣つて居ると思つて居る語でも、冷く再考してみると訣らないで通つて居る事が少くないのである。學問の進歩に伴つて、現在正しいと信ぜられて居る語原説も、變つて行かなければならないものであると私は思ふ。
古代の我が祖先達は、人間のたましひと言ふものは人間の肉體の中に常在するものではなくして、たましひの居る場所から或期間だけ、假りに人間の體内に宿るものと考へて居たのであるが、其外來魂(外部のたましひの常在所から人間の肉體内に入り來る魂)即、西洋で言ふまなあたましひと呼んで居たのである。此のまなあと稱する外來魂が一時的の假りの宿である人間の肉體に這入ると、其這入つた瞬間からして宿られた肉體を持つた其人は、其たましひが持つだけの威力をそつくり持つ様になつて、それが精神とか肉體運動とかの上に現れ來るのであると考へ、之をさきはらふと言つたのである。そして此たましひが人間の身體に著くに際して、其著く場處は何處であるかと言ふに、古代の人々は、頭部に著くのであると考へて居たに相違ないと信ずる(此事は我々によつて容易に證明し得る所である)。從つて一度人間の肉體に宿つたたましひが、其肉體から遊離し去ると、それに伴ふ威力をも亡失して終ふのである。我々の祖先、かゝる観念を確か過ぎる程持つて居たのである。だからたましひは人間の有する靈魂であつて、それを澤山有して居る人程威力がある、と考へられたのに何の不思議もない。人間のたましひが固有なものであるかどうかは明白でないが、誰でも各人が持つて居る所のものである。
次にたましひの所在の問題に就いて考へて見よう。こゝろたましひの中心である。こゝろと言のは總て物の中心を言ふのであつて、水のこゝろ河のこゝろ池のこゝろなど、少からぬ用語例を、擧げる事が出來る。所が古い昔の人々は、たましひと、こゝろとを混同して了つて居る。
外から來る魂、即まなあが果して何處から來るのであるかと言ふ事は、今の處よく理會されない。之には信仰の上の比較研究が、相當よい刺戟を與へてくれるであらうと考へて居る。
まなあの名には多数あつたのであるが、其代表的なものがたまであつた。又さちとかいつ(稜威)などゝ言ふ言葉もこの外來魂の名であるらしい。
古代の未開野蠻な時代に於ては最幸福なる、且、最も祝福せられたる威力の根元は、狩獵の能力であると考へられて居た。其威力の本源になつて居る外來魂こそさちであつた。であるから、山幸海幸と言ふ言葉の古義は、山海の魚獵の能力を意味する威力を象徴したものであつたのである。其さちの威力を享けた人が、山幸彦であり海幸彦であつた。そしてさちなるまなあふいつしんぐにあつては鉤に、はんていんぐにあつては弓矢(其用語例さつ矢さつ弓)に宿るのであつて、其處はさちの貯藏庫であると考へたことは確からしい。即、上古に於てさちなるたましひは、其憑依した人に狩獵の能力を生ぜしめると言ふ信仰があつたのである。
偖、此外來魂には非常に抽象的なものである場合と、非常に具體的なものである場合とがある。
こゝで前者の場合を考へて見る。
おほくにぬしの命がすくなひこなの神を失つて愁へて居られると、時に神光[アヤシキヒカリ]に海原を照して忽然[タチマチ]に浮び來る神があつた。「何者だ」と問ふと「俺はお前だ、お前の荒魂・和魂・奇魂だ」と答へたと言ふ神話がある。外から來て帝王となるべき人、或は其土地を治める人の持たなければならぬ威力のあるたましひが著いて、威力を生じ精力を益すのであつた。
抽象的なたましひが、ものゝ形を現して來る場合がある。此たましひは我々の知つて居る限りの遠い彼方の常世國から來る威靈である。
日本には古くから漂著神の話があるが、これはたましひの信仰と關係を有して居るのである。
日本の國々の海岸地方には、海岸に立つて沖の方を眺めて見ると、何時の間にかちやんと其處に存在して居ると言つた様な話がよく傳へられて居る。之等には心理學的に觀て、從前から在つたものでも何かの調子でふつと氣が變つた場合などには、忽然と海岸に出現したなどゝ考へる場合も多いのである。(最近民俗學に心理學的傾向が多分に這入って來たが、私は之を努めて避けなければならないと信ずる。序ながら考へるべき事と思ふ。)
古代の人々は、何か沖の方から海岸に寄つて來るものがあつて、其漂著したものを見ると石であつた。即、一夜の中に常世の波に打ち寄せられて、忽然として一つの石が沖の方に現れたと見る間に、見る/\中に大きくなつたなどゝ言ふ信仰譚を持つて居た。之はたましひが寄り来る一手段としてこんな方法を考へたのである、と解すれば差支へないものと思ふ。
たまごの古い言葉はかひ(頴)である。又蠶にも此意味があつたのだらうと思はれる。物を包んで居るのが、かひで、丁度もなかの皮の様に物を包んで居るものを言ふのである。此かひは密閉してあつて、穴のあいて居ないのがよかつた。其穴のあいて居ない容れ物の中に、何處からともなく這入つて來るものがある。其這入つて來るものがたましひであつて、此中に或期間を經過するとたましひが成長して、其かひを破つて出現するのだと古代の人々は考へたのである。石の中にたましひが這入つて、而もそれが成長するなどゝ言ふ事は我々には到底考へられないのであるけれども、我々の祖先は斯く信じて、或時期が來ると、石が割れて出て來ると言ふ考へを持つて居た。今日でも、春先に柳の根を切つて來て綿を入れた箱などに入れ、毎日箱から出して見ては友人のそれと比較して、昨日よりも大きくなつたなどゝ言ふ事をよくやつているのであるが、丁度其様に、昔の人達には石が大きく成長して行くものであると言ふ信仰があつた。此考へがなかつたならば、「君が代は千代に八千代にさゞれ石の巖となりて」の國歌に歌はれた考へは成立しないのである。我が國歌「君が代」は單なる歌人の空想から連ねられたる言葉ではなくて、既に古く、石成長の信仰があつたからこそ生れ出でたものであると思ふ。此石成長の信仰はたましひ成長の信仰と相關するものである。
日本の諸國の海岸には、古代から神の姿をした石即、神像石[カムカタイシ]の信仰がある。此神像石の様態には神の姿に似て居ない唯の石であるものと、神に似て神の姿を想見せしむる程度のものとがある。
たましひが石に這入ると言ふ信仰には、たましひが外からやつて來て其憑り物・容れ物である石に這入ると言ふのと、既にたましひの這入った石が他界からやつて來ると考へたものと二つがあつた様であるが、殊に後者は海岸地方に多いのである、神像石の信仰がそれである。彼の常陸國大洗の磯崎神社の像石は此有名なものゝ一つであつて、一夜の中に海中から忽然と出現した神であると謂はれて居る。
私の度々の旅行に、一番綿密なる研究をした地方は壹岐である。其處には對馬や隱岐などの様により石の信仰が存して居るのである。
流れ寄つた石を或時祠に祀つたところが、どん/\大きくなつて遂に祠を突き破つたと言ふ話とか、石を拾つて歸つたら家に著く迄に急に大きくなつたなどゝ言ふ話は、諸國に數限りなく散在する。古代人はさうした石成長の信仰を有して居たが、之は既に二三繰り返した如くたましひ成長の信仰と結ばれて居るものである。壹岐には不思議な巫女が居るが、彼等は其神事を行ふに當つて、此漂著石[ヨリイシ]を利用する。之は石にたましひが宿ると考へる為に他ならぬのである。
記紀に天子様の御身體の事をば、すめみまのみことと申し上げて居る。すめは神聖を表す尊稱であり、みまは本來肉體を稱する詞であつて、從つてすめみまのみこととはたましひの入るべき天子様の御身體である。たましひの容れ物が、恐れ多い事であるがすめみまのみことに他ならない。
日本紀の敏達天皇の條に、天皇靈と言ふ言葉が見えて居るが、此天皇靈とは天子様としての威力の根元の威靈、即、外來魂そのものであつて、まなあすめみまの命である所の御身體に這入つて、天子様は偉いお方となられるのである。この天子になられるに必要な外來魂なる天皇靈は、いつ(みいつ・稜威)と稱するたましひである。
すめみまの命には生死があるけれども、此肉體を充す所のたましひ(天皇靈)は終始一貫して不變であり、且唯一である。從つて譬ひ肉體は變り異なることがあつても、此天皇靈が這入れば全く同一な天子様となられるのであつて、此天皇靈を持つて居られる御方の事を日の神子[ミコ]と申し、此日の神となられるべき御方の事をば日つぎのみこと申し上げる。故に天子様御一代には此日つぎのみこは幾人もお在りなされるのである。
日つぎのみこの地位に在られる御方から天皇になられる御生命は、事實上時の流れと同様繼續して居るのであるけれども、形式上一定の期間、一旦藻抜けのからにならなければならないのである。すると其間に、天皇靈が其肉體の中に這入り來ると信じた。そしてこれが完全に密著すると、そのものは俄然新しい威力が備り、神聖なる天皇の御資格を得られるのである。そのたましひは恐らく前述のいつであらう。大嘗祭に、此いつが天子の御身體に憑依するのである。
先の天子が崩御遊ばされて、日つぎのみこの中の御一方に尊い神聖なたましひが完全に御身體に憑依し、次の天子としての御資格を得られる迄は、日光にも外氣にも觸れさせてはならないのであつて、若し外氣に觸れたならば、直に其神聖味を亡失するものと考へた。故に眞床襲衾[マドコオフスマ]で御身をお包みしたのである。古代には死と生とが瞭らかに決らなかつたので、死なぬものならば生きかへり、死んだものならば他の身體にたましひが宿ると考へて、もと天皇靈の著いて居た聖躬と新しくたましひの著く為の御身體と二つ、一つ衾で覆つて置いて盛んに鎭魂術をする。この重大な鎭魂[ミタマフリ]の行事中、眞御襲衾と言ふ布團の中に籠つて物忌みをなされるのである。其外來魂の來觸密著を待つ期間中をも「喪」と稱するのであつて、喪に服して居られる間に復活遊ばされると言ふ信仰であつた。
邇々藝命は眞御襲衾を被って假死の状態で此國土に天降り遊ばされたが、あの木花佐久夜毘賣と石長比賣との話が出て來る吾田の笠沙の御前において、初めて復活せられたのであると信ずる。此様な事は普通の人間に對しては無い事であつて、天子の御系統にのみ存するのである。
偖、斯様に段々考へて來ると、貝殻を以てたまと言ひ、人間の骨を以てたまと稱する事が出來る。さすれば我々の身體をもたまと言ふ事が出來るのである。
たま即、抽象的なるたましひしむぼらいずした所の具體的な玉は、取り扱ひに便利である為まじつくの道具として用ゐられるのである。そしてそれは「玉の緒」などゝ言ふ語を以て讚美せられて居る。玉と玉の相觸れる音は、鈴のそれの様に美しいものではないが、古代の人々は此玉の相觸る音によいと感ずる所があつた。それは彼等が玉の相觸るあの音の中に、たまの活動を感ずる事が出來たからである。或家のまじつくの威力は、同時に其家の威力をも生ずるのである。
從つて此玉は家々にとつて非常に大切であつて、其玉の威力をもつて居る人は、咒術の威力をも有して居ると考へられた。
完全に物忌みが遂げられた時に、外來魂は來觸、密著して内在魂となるのであるが、此たまふりの儀禮に行はれるまじつくの用に玉は使はれたものである。そして其作用を稱して古語ふると言つた。
ふるなる語も行から行へ發音が轉じてふゆとなると共に、意義にも分化を起して増殖の意味を持つ様になつた。即、内在魂の分割を意味する様になつて來たのである。其處でたましひしむぼるである玉も、其威力を分割して別の玉を成立せしむる事が出來ると信ずる様になつた。それは玉に宿つて居るたましひを分割することを意味するものであつて、尊者の分靈を受けて其威力にあやかる信仰が發生した。この為に根本となる、最威力を有するたましひしむぼるである玉は、非常に尊いものとなつた。我々は播磨風土記に現れた玉掏換への話や、出雲國造や倭比賣命が齋湯を求めて禊をなされた事などによつて、其片鱗を窺ふ事が出來る。更に古代の日本人は、天皇に對して自己のたましひを捧げると言ふ信仰を有した。かくの如く自分のたましひを長上に奉る事をみつぎと言つたのである。
天子となるには、其領有する諸地方の土地のたましひとか、家々の守靈[マモリダマシヒ]など其他、數へ上げられない程の威力あるたましひを有せられなければならなかつた。臣下或は被征服の種族は、一定の時期に宮廷に参朝して自家の守靈を奉つたのである。それにはたましひ(守靈)のしむぼるである所の玉を捧げるのが、一番都合が良かつたのである。
前述の内在魂が元が減らずに分割すると言ふ信仰からして、臣下の奉つた數多のたましひと、元來天子様の持つて居られるたましひは著物を以てしるしとし、一衣一魂として天子様は親しく近しい人々に著物を配られた。之を御衣配と言ふ。天子以下の者でも家々の氏の上のたましひは分割すると信じ、衣配[キヌクバリ]と稱して衣に著けてたましひを分配したのである。たま及びたまを語幹とする語の語原研究は、鈴木重胤に徴してみてもいづれも此點に出發して居る。此様な信仰行事は總て宮廷が其本源であるが、後貴族及びそれ以下の者にも延長せられる様になつた。
昔から鎭魂に二通りの意義がある。遊離したたましひしづめると言ふ内存的なるものと、外來魂が來觸して密著せるものを身體に固く著けて置く事とがそれである。之を古くはたまふり又はみたまふりと言つたが、後平安朝になつてはたましづめと言ふ様になつた。
たまふりと言ふのはかく貴人の御身體にたましひを著ける事であるが、其たまふりの際に用ゐる道具は家々によつて違つて居た。そして其道具には數多くのものが用ゐられたものと思ふ。其中で我々の忘れてならないものは劍である。
大嘗會に當つて吉野の國栖が奏上した賀詞を見ると、國栖自身の守靈を奉つたと見るべきものがある。
品陀天皇の御代、吉野國巣人の歌に、
 品陀の 日の御子 大雀 おほさゞき 佩かせる太刀 もとつるぎ 末ふゆ 冬木のす 枯が
 下樹の さや/\  (古事記、中巻)
と言ふのがある。此歌は先、大雀尊に刀身の幾枝にも岐れたまじつくの劍を捧げ、それに托して國栖族の守靈を附著せしめて奉ると言つた意味のものであるらしい。
劍には石上神社神寶の七枝劍[ナゝサヤノツルギ]の如き變形の劍があるが、これは刀身が分れて七つになつて居り、それに鞘をはめる様になつて居る。此劍に就いては專門家の新しい考證がなければ、我々は今迄の解釋に随はなければならない。
斯様に大雀命を祝福せる劍は、七さやであるか九さやであるか訣らないが、ともかく其歌詞によつて、股のあつた劍で股になつた鞘を有して居たに相違ない。そして此劍を以て大雀命を祝福し、大雀命に劍を佩かせる言義を附けながら鎭魂を行つたのである。ふゆ殖ゆであつて分裂して枝が出て居る事である。古の人々は行と行とが近い音である為に、同じ様な音に感じたのである。この歌は或は逆に、大雀命から魂を分けて頂く歌であるかも知れない。要するに、劍を以てたまの徳を自由に發動させる事があつたと考へてよいと思ふ。
以上はたまに關した劍の極めて小部分を考へて見たのであつて、劍一つに對しても種々な考へを有して居るが、今日は、時間の關係上、之だけで留めて置く事にする。


*1[玄玄]となっている(へん玄+つくり玄で一文字、読みは「ここ」)

・/\は複数字を繰り返す「く」みたいな記号の代わりです
太字は傍点の代わりです
・漢字[カンジ]はルビうちの代わりです
・原本に改段によるひとマス空けがなかったので改行は正確でないかもしれない
・旧字体が出せたものは極力原本に忠実にしてますが、しんにょうの点がふたつなのにひとつだったり、しめすへんが示なのにネだったり、ということはあります

『折口信夫全集 第二十巻』昭和31年発行、折口博士記念會編 p221~p234



青空文庫ってすごい……! と思った。

とりあえずでもなんだかこうー 期待してたようなのとはちょっと違うみたい。使えなさそう。