『ものと人間の文化史 32・蛇 日本の蛇信仰』(吉野裕子 著)

『ものと人間の文化史 32・蛇 日本の蛇信仰』(吉野裕子 著) を読みました。私の印象:◎

日本原始の祭は、神蛇と、これを斎[いつ]き祀る女性蛇巫[へびふ]を中心に展開する。――略――本書の構成は第一章を蛇の生態の考察に宛てて、この考察の結果はそれにつづく第二章以下各章の論旨の伏線のようなものになっている。第二章は、蛇の古語「ハハ」から推してその前段階に「カカ」のあったことを推測し、その論証に努めている。第三章は蛇の目の造型としての鏡、第四章は蛇のトグロの造型としての鏡餅の推理、第五章「蛇を着る思想」は、日本民族の蛇を身に着ける情念の追求である。第六章は信州諏訪に濃厚なミシャグチ神の推理、第七章は日本の古代哲学が、蛇の生態を基本におくことを仮定しての推理であり、これは昭和四十七年刊、拙著『祭の原理』終章を殆どそのまま再録している。(序文より)


すごく明快でわかりやすくインパクトがあっておもしろかった。扇が蛇の表象だとか(蛇→蒲葵→蒲葵の葉→扇、だそうだ)、鏡餅が蛇のトグロだとか、最初エーと思っても論拠がはっきりしててなんか納得してしまった。「カカ+目=鏡」というのは、どうなんだろうという気もするけど(目が「二つ」という印象はそんな弱いかなあ?)。

著者は、「竜(爬虫類)をこわがるとき、われわれは自分の一部をこわがっているのだろうか。」と問いかけている。(p2)


↑著者=カール・セーガン『エデンの恐竜―知能の源流をたずねて―』、人間の脳の中には進化途上の各段階の生物であった時の部分もくみ込まれていて、脳の一番奥の部分は恐竜の脳の働きをしている、という記述をふまえて

「カガヒ」は一般に「歌垣」といわれているが、恐らくそれは「カガヒ」の意味が早くに不明になったため、またそれに歌のやりとりが付随するために、この「歌垣」の字が宛てられ、一般化したものであろう。東国は文化の遅れから古態が遺され、「カガヒ」の語も後代まで残ったのである。――略――このような男女の乱交が祭り、宗教行事にまで高められている理由は、おそらくそれが山の神、またみ祖[おや]の神としての蛇の交尾を擬[もど]くものだったからではなかろうか。(p70-71)



祖先神としての蛇は、メキシコでも、台湾の伝承においても、太陽と強く結びつけられている。蛇と太陽の関係は日本神話において、天照大神の神格の中にもうかがわれ、また「天之日矛」伝承の中にも認められる。この天之日矛伝承は、太陽――虹(蛇)――赤(玉)――女、の要素に分解することが可能である。



五、節折の儀
――略――おそらく和世はこもっている生命の「静」の時間を指し、荒世はその生命が内に充足した結果、外にあらわれ出る新生・脱皮の時点を指す言葉と思われる。――略――なお因みに和世御衣[にごよのおんぞ]は紅の絹、荒世[あらよ]御衣は白絹の由である。
 そうして和世の時代の生命が和魂、荒世の時代の生命が荒魂であって、生命はこの静と動、或は幽と顕のくり返しによって常に更新されると信じられたと推測する。(p232)