『日本人の死生観――蛇 転生する祖先神』(吉野裕子 著)

『日本人の死生観――蛇 転生する祖先神』(吉野裕子 著) を読みました。私の印象:○

本書の構成は、第一章を世界原始信仰における「蛇」の考察にあて、第二・第三章を「産屋」「喪屋」とし、第四章は他界の祖霊の象徴として、産屋と喪屋を結ぶ生と死の軸上を往来する「箒神[ははきがみ]」と、その箒神から派生しながら、この現世においてあたかも祖霊にまで昇華しているかに見える「荒神[こうじん]」をあつかい、第五・六章の、他界の種々相に終わるのである。(序文より)


『蛇』の続編みたいな内容。死生観という題の通り、産屋と喪屋の考察が中心。やっぱり力強くてわかりやすくておもしろい。蛇に倣うために生まれたてのあかんぼをぐるぐる巻いた、という話は、西洋のキリストが生まれたてでぐるんぐるん巻かれてる絵(ラトゥールのあれとかさ)を思い起こさせる。けど、それ蛇か~? という気はせんでもないなあ。屈葬が蛇のとぐろのまねというのはなんかなるほど!

屈葬における死者の体位と、産婦における座産の体位は、深く関連しあっている。どちらも人から蛇へ、蛇から人への変身を控えているものであり、行動をおこす蛇に見られる体位を、そのまま擬いているのである。(p94)



出雲の話(蛇=太陽だから太陽の進行に基づく東西軸での世界構造が地上にも構築され、その思想が「東の鹿島のタケミカツチノ神vs西の出雲の大国主&事代主神」という国譲り神話に反映されている、とするもの)は納得いかん。だって神話にも九州とかもっと西の国がちゃんと出てくるのになんでわざわざ「出雲」が西なの?(p132あたり)
古代日本人の東西二元軸での太陽信仰により「国土の真東、鹿島神鎮座の常陸は、地上の高天原とされ(p159)」、「しかし何といっても最神聖の東方神界は、首都大和の真東の伊勢(p160)」だったそうな。あと後代中国の神仙思想に基づく南北軸の影響により熊野が神聖視されたそうな。フーン。

ものの表皮を、古語で「ケ」といった。蛇の脱皮は表皮が剥けることであるが、この状態はまことに穢らわしい。「ケガレ」の原義は表皮が剥がれること、つまり、「毛離れ」とわたしは解する――略――つぎに脱皮とは、自身の身を削ぐこと、あるいは殺ぐことであって、「ミソギ」は「身滌ぎ」の転訛ではなく、「身削ぎ」であり、旧い殻を脱することである。そして旧い殻を脱ぎ捨てることは、払い捨てることであって、神道の「祓ひ」の原理は「払い」と考えられるのである。
 そうしていよいよ、旧い殻を脱し、清らかに新生した蛇は、まさに内から外に向かって「顕現[アラハレ]」たのである。この顕現がつまり「ハレ」であって、脱皮の完成である。――略――この「日[ケ]」は、一字で複数の日数を指す語であるが、それはおそらく、表皮の「ケ」につつまれて、つぎの脱皮までの時間を意味するものと思われる。「ケ」は「着」にも通じ、表皮を着ている時間、要するに脱皮の「ハレ」までの平常時を意味することから転じて「平常[つね]の日」の意になったのである。